先月、ご縁がありまして、ガンの患者会や発達障害児の支援に関わってみえる方とお会いする機会がありました。
その方に、「あなたにはできない」と言われました。
「あなたは誰も救えない。助けることはできない。あなた自身がもっと癒されないと、誰かを引き上げることなんてできない」と。反論の余地はありません。その通りでしょう。
私は誰も助けようとは思っていませんし、ましてや救おうとは考えたこともありません。そして、私が傷を抱えていて、それが今も、痛むことは事実でしょう。
私は私が誰かを救いたくて、助けたくて、家族の会を立ち上げたわけではありません。ただ、私は知りたかったのです。他のドナー家族の方がどのようにして過ごしているのかを、聞いてみたかったのです。それは、私が苦しいからです。この苦しみを受け入れていても、自分ではどうにもならないと思うことがあるからです。
例えとして適切ではないのかもしれませんが、「毎日のお弁当作り」のような感じです。毎朝、「お弁当を作ること」それは誰かに代わってもらうことはできない。それを嫌がっているわけではないのです。ただ、他の人はどのようなお弁当を作っているのかを聞いてみたい。おかずが痛みやすい夏場はどうしているのか、汁気が出てしまうことはないのか、朝寝坊した日は?前日の用意は?本当にちょっとしたことをどうしているのか、私は聞いてみたいし、知りたいと思ったのです。
必要なお弁当も、料理に対する技術も、人それぞれでしょう。成人男性のお弁当、小さな子供のお弁当、温めなおして食べられる環境にあるお弁当、長時間炎天下におかれてしまうお弁当、求められる状況も環境も、それぞれ異なり、まったく同じお弁当があるわけもない。
それでも、お弁当を作っている人に「お弁当どうしてる?」そう、聞きたいのです。
大切な家族を失うという、この悲しみや苦しみは、誰かに変わってもらうことなどできません。また、臓器提供に至る経緯、そしてその思いは同じ家族であっても、同じではないでしょう。誰かに聞いてみることができる場がある、ドナー家族に会うことできる場がある。それが誰かの何かの力になれば、そんな思いがあります。
「臓器提供をされた方のご家族に対する調査」の集計結果が今年の四月に日本臓器移植ネットワークのホームページに掲載されました。(アドレス下記参照)
そのフリー記載欄に「自分の問題です。自分でなんとかすることです」そう書かれていました。
私自身もそう思っていました。「自分の気持ちの問題」「自分一人でなんとかすること」と考えていました。
夫が逝去してから、一年半くらい経った頃にお会いした人に「あなたは支援を受けていい、支援を受けるべき人だ」と言われました。その時には「はぁ、そうですかね」くらいにしか思っていませんでしたが、それからしばらく経ってから、「そうか、助けてって言っていいんだ」そう思いました。
一人で何とかすることばかり考えていましたし、一日も早く元気になることが、私を支えてくれている人たちへの恩返しになり、心配を掛けたくないと、安心してほしいと思っていました。「もう大丈夫ですよ」と言いたかったです。
だからこそ、「助けてほしい」なんて考えもしませんでした。「助けて」と言えないのではなく、「誰かに助けてもらっていいこと」だとも、思っていなかったのです。
違うんだと、「助けて」そう言っていいんだと、一人で頑張らなくてもいいんだと気づきました。つらさや苦しさ、そして生き辛さを言葉にして、誰かに伝えてもいいんだと、気づきました。
その「助けて」という言葉を、どこにだれに伝えるのか、それはその人が選ぶことでしょう。家族でも、友人でも、頼れるところがたくさんあればいいと思います。その中に、その選択肢の一つとして、「家族の会」があればいいそう思います。
家族の会では、助けにならなくても、救われなくても、「助けてほしい」そう言える場を一つでも多くしたかった。私自身が苦しいからこそ、何が私にできることがあるなら、やってみようと思ったのです。
悲嘆プロセスは時間をかけてやり遂げなければならない人生の重要な課題であり、インスタントな方法はない。この悲嘆は受動的ではなく、能動的に達成されるべき課題であり、成し遂げるためには、本人の積極的な心構えと意欲、そして周囲の人の温かい支えが何よりも大切だと、アルフォンス・デーケン氏も著作「よく生き、よき死と出会う」で書かれています。
全ての人に訪れる死、そして経験する大切な人の死、それらの悲しみが少しでも軽くなること、そしてその人の悲嘆の道が少しでも歩きやすくなることを願っています。
日本臓器移植ネットワークのホームページ参照
1999年医療系短大卒業、看護師として総合病院や社会福祉協議会などに勤務しながら、私生活では結婚、二児の母となる。 数年前に夫がドナーとなり、ドナー家族となる。通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、臓器移植ドナー家族の会の設立に至る。