1997年に臓器の移植に関する法律(臓器移植法)が施行され20年以上が経ち、2009年の法改正後、脳死下臓器提供の件数は年々増加しています。 臓器提供に至る過程は怪我や病気、自死など様々であり、また、提供の意志を示していた場合、そうでない場合があり、提供するかどうか、家族の中で意見の分かれることもあるでしょう。
大切な人を失うかもしれないという受け入れがたい状況の中、短期間でその決断を迫られ、大切な人への思い、臓器提供への思いは同じ家族であっても、同じではなく、そして、その別れの後の悲しみや苦しみの感じ方、またその癒し方はきっと同じではないでしょう。
私自身も数年前に夫がドナーとなりました。深い悲しみと絶えない未来への不安を抱え、二人の子供たちと暮らすことは、簡単ではありません。他のドナー家族の人たちは、毎日どんな思いで過ごされているのか、そして、これから子供たちにどんな影響があるのか、私は知りたいと思いましたが、その疑問をどこに、誰にぶつければいいのかわからず、ドナー家族が語ることができる場はありませんでした。
身近な人の死は非常に鋭利に心に刺さり、悲嘆の道は平たんではなく、決して生きやすい社会とは言えないのが現状でしょう。大切な人を失った悲しみやその想い、ドナー家族として語り、支え合うことで、この生きづらい社会が少しでも生きやすいものになるのではないかと考えました。
そして、たくさんの方々の協力によって、この臓器移植ドナー家族の会「くすのきの会」を設立に至りました。まだ、芽吹いたばかりの小さな会ではありますが、たくさんの人が寄りそえる会になることを信じています。
くすのきの会 代 表 米山 順子
1999年医療系短大卒業、看護師として総合病院や社会福祉協議会などに勤務しながら、私生活では結婚、二児の母となる。 数年前に夫がドナーとなり、ドナー家族となる。通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、臓器移植ドナー家族の会の設立に至る。
公園の片隅や道路の街路樹として、一歩外に出れば、どこにでもある、くすのき。 見上げれば、大きく枝を広げて、日の光を受けて、しっかりと根を張り、そこにあるのではないでしょうか。そんな身近な樹木から、臓器を提供することを決断した家族がよりそうための家族の会の名を付けました。
臓器提供に至る過程、そしてその想いは同じ家族であっても違うものです。枝で、羽根を休めることができる、その木の下で雨宿りをすることができる、時には強い日差しを遮ることができる、様々なことができる、そんな会でありたいのです。
そして、くすのきの語源は諸説ありますが、不思議なという意味のある「奇しき」です。さまざまな経緯を経て、臓器提供という点で交わった、ドナー家族。その家族をつなぐ、くすしき縁。そして、その家族が集う、くすのきの会です。
また、くすのきは樹齢が何百年と、大きな木となります。この会も何年も何年も続いていくことを、そして、大きく育ってくことを願っています。