5月28日、ドナー家族のお気軽なお茶会を開催しました。
お問い合わせのあった方にお声掛けさせていただき、日時を場所をお伝えして、当日キャンセルOKの気軽に一緒にお茶を楽しむ会をしました。臓器提供に至る経緯、その家族の思い、そして大切な家族を亡くすという経験は二つとして同じものはありません。様々な思いを抱え、その決断に至るみなさんの声に耳を傾けられる機会を得られたことを心から感謝しています。今日ご参加いただきたみなさま、本当にありがとうございました、とても楽しい時間となりました。
何か明確な目的があるわけでも、何かを話さなければならないわけでもない、ただ会ってお茶をしましょう。ささいなことや、ちょっとした聞いてみたいこと、どんなことでもかまわない、話がしたいなら話せばいい場所、ただそこに行ってもいい場所、話をしなくてもいい場所、そんなドナー家族のための場所があればいいなと思うのです。
奇数月の第4土曜日に定期での開催を予定しています。参加ご希望の方、もしくはご興味のある方はどうぞお気軽にご連絡ください。場所と時間をお知らせいたします。
二月に取材を受けた番組の放送予定日が決まったとのことで、連絡をいただきました。広島での放送予定が5月21日(土)午前10時25分~とのことです。他の地域での放送予定はまだ決まっていないとのことでしたので、またお知らせしたいと思います。
私はご縁あって、これまでに何度が取材を受けました。その経験から思うのは、『材料』だということです。私の経験を話し、それを『材料』として、作成する方々の伝えたい『番組』を作っていく。移植医療をどのようにとらえ、そして、彼らがどのような意味付けをして、どのように伝えるのか、私のあずかり知るところではありません。
料理に例えるとわかりやすいのかもしれません。彼らの作りたい料理があり、それに見合う材料を探し、そして調理する。調理を食べるのはお客さまです。お客さまが美味しいと思うのか、それを食べて何を感じるのか。そこはもっと、私には想像もつかないことです。
移植医療には様々な側面があります。番組を作成するために、取材を進められ、たくさんの人にお会いになったことと思います。時間的な制限もあるでしょうし、何かを伝えるためには、焦点を絞り、捨てなければならないモノもあるのでしょう。どのような番組になっているのか、私は楽しみにしています。
しかしながら、「本名でいいですか?」と聞かれました。番組を作成する方には、何か想像できること、もしくは予測される問題があるのでしょうか。私のしていること、私のすることは、そして、私のしたことは、名前や顔を隠さねばならないことなんでしょうか。隠さなければならないような番組になっているのでしょうか。問われるままに、可能な限り率直にお話しましたが、私の思いは、すべてのドナー家族の思いではありませんし、また、人の思いは変化するものです。ドナー家族に対するイメージが偏らず、理解が進む内容であることを願っています。
1999年医療系短大卒業、看護師として総合病院や社会福祉協議会などに勤務しながら、私生活では結婚、二児の母となる。 数年前に夫がドナーとなり、ドナー家族となる。通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、臓器移植ドナー家族の会の設立に至る。