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2021年05月9日ブログ

取材を受けた理由

取材を受けた理由について、記載しようと思います。

 

「家族が最期を決めるとき」の取材を受けた、私の思いは大きく二つあります。

一つ目は、臓器提供に至るその家族の思い、その現実を知ってほしいと思ったからです。

移植を受ける患者さん、移植を行う医師については、テレビなどで取り上げられることも多く、知る機会がありますが、ドナー、ドナー家族について語られることはありません。

とあるドナー家族の言葉ですが、

「臓器提供は不本意でした、私達家族の本意は、元気になって退院することでした。その本意が叶わないのなら、不本意の中の最善を探すしかなかった」

これほどまでに、ドナー家族の思いを的確に表現している言葉はないと思います。

すべてのドナー家族が同じ思いであると思います。

大きな混乱の中、そして悲しみの中、苦しみながら、家族で出す決断、その現実を知ってほしいと思います。

 

 

そして、二つ目は、私自身が自死遺族としての生きづらさを感じているからです。

「死者を辱める行為だ」

夫の自死を偽らない私にかけられた言葉です。

 

時折、会話の中で死因を聞かれることがあります(なるべくそこにたどり着かないように注意しますが…)

「夫は自殺で亡くなりました」と私は偽りなく事実を伝えます。
ほとんどの人は、しまったと言う顔をして、私にかける言葉を見つけられず、視線を彷徨わせます。

中には泣き出してしまう人もみえます。
私はその人を傷つけてしまったことに、傷つくのですが、何かの病気の名を適当に告げることができないのです。
(時には、にっこりと笑い何も言わずにやり過ごすこともあります)

それは、彼が苦しんで苦しんで死を選ばざるを得ないほどに苦しんだことを否定するように感じるからです。
その苦しみの理由が私であるからこそ、受け止めなくてはいけないと思うのです。

なぜ自殺はこんなにも違うのか。
死に至る原因は、病気や事故など、たくさんあります。そのどれとも違うのは、どうしてなのか。
恥ずかしいことなのか、隠さなければならないことなのか、どうして、私はこんなに苦しいのか。

行き場のない思いを心の抱え、なんでもないように暮らすことは、苦しいものです。

ふいに想いが溢れてしまい、息が思うようにできなくなったり、こぼれる涙を止められなくなったりしました。

そんな頃、私は学びの機会を得ました。
社会における自殺という問題、自殺対策基本法、自死遺族の現状と支援。
年間3万人を超えていた自殺者数、書籍「自殺って言えなかった」、自死遺児の番組の存在。
「夫は自殺で亡くなりました」と私が言葉にできることは、たくさんの人が尽力した結果だと知りました。

今から20年前、自殺に対する社会の視線は今よりもずっと厳しいものだった、そんな中で立ち上がった人たち、彼らの勇気と思いに心から敬意を表しています。

そして、感謝しています。

だからこそ、私自身も名前と顔と、そして大切な子供たちを隠すことをしませんでした。

自死遺族として私が感じる生きづらさを子供たちにさせたくない。
自殺を隠すことのない社会であってほしいと心から思います。

自死遺族が、臓器提供が、理解される社会となるよう願っています。

そして、その一助となるよう尽力していきたく思っています。

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くすのきの会 代表米山 順子

くすのきの会 代表
米山 順子

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1999年医療系短大卒業、看護師として総合病院や社会福祉協議会などに勤務しながら、私生活では結婚、二児の母となる。 数年前に夫がドナーとなり、ドナー家族となる。通信制大学に編入し、学びを深め、社会の変化による悲嘆の癒しにくい現状、日本の移植医療、ドナー家族の現状を知り、臓器移植ドナー家族の会の設立に至る。

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